アイデンティティークライシス2010/08/23

アイデンティティークライシスという言葉
皆さまは、どこか聞き覚えがありますか?

要は、自己同一性喪失…
つまりは、自分が何者であるか判らなくなる症状のコトです。

自分は、生き抜くチカラがあるのだろうか…
自分は、人に愛してもらえるのだろうか…
自分は、いったい何のために生きているのか…など、

危機的状況に陥ることから、これらの症状は始まるのでしょうが
それらの心理は、少なくとも誰にでも心当たりのあることでしょう。

かくいう私も、自分が何者かなど
まだまだ判りかねておりますが…。
能天気だと、症状は軽くて済むのでしょうね・・・笑。

そういう症状を、とやかく言う気はありませんが
ただひとつだけ思えることは、

消化不良ひとつで、せっかくの時間を留めてしまうのはもったいない。

ただただ、そう思います…。

ココロの問題は、誰かに打ち明けてこそ
解放し、投影され、自ら再認識できるモノなのです。

それこそが、ココロの消化を促す自然な循環なのです。

受けとめてくれる相手がいない…。
聞いてくれる家族もいない…。
理解してくれるワケがない…などと

始めから諦めていれば、何も変わるはずがありません。

狭い了見や経験不足のなかで
知りもしない世の中に勝手に当てはめるのはヤメましょう。

ただひとつ、自分の正直な気持ちを打ち明けてみて下さい。

判らない…と、理解することもひとつの答えなのです。
そして判らない答えは、先ゆく人に聞くのが一番でしょう。

自分を信じるから誰かを信じ
誰かを信じるから世の中に期待が持て
世の中に期待するから豊かな人生と呼べるのです。

危機管理とか、パニック状態に屁理屈を持ち寄るよりも
足りないと感じている、自分自身から起き上がれば良いのです。
気づいて遅いことなど、何一つありませんから…。

あなたが、真剣に悩めることは理解しています。
だけど、そんな真剣に悩める尊いあなた自身が止まっていることを
ココロから、惜しんで励ます相手の気持ちも汲んで下さい。

固執した、たったひとつの考えかただけでは
始めから、ただひとつの答えしか招くことは出来ません。

正しくとも過ちだとしても、
自らの真意を語る言葉だけは失くしてはいけません。

袖ふれあう人も縁、縁を信じて語るも因
そのようにして、人は因果を授かるものなんです。

偽る必要もなく、ただ素直な気持ちを表していけばよい
間違えに気づけば、ただ正すだけのコト
自らが正しければ、ただ貫けば良いだけのこと。

どちらにしても、進行形をとれてることが
あなた自身の、証明そのものなのでしょう。

不足も気づいてこそ、真意
言葉で語れれば、それこそが真理
その自らの言葉に応えられれば、より良い人生なのです。

自分を証明し続けることに、絶対正しいなどという答えはありません。
だからこそ人生は、希望に満ちているものだと確信すべきなのです。

ただひとつの自分を信じて、行動で自らを証明しましょう!