神無月‐カンナヅキ‐2009/10/02

さて、時間の経つのも早いモノで
最近はまた、カウンセリングと書きモノに追われておりました。

あわただしいなか、気がつけば10月…
いつの間にか、神無月となっていました。

皆さんは、10月が神無月
すなわち、神さまの居ない月という言い伝えをご存じでしょうか?

正確には、全国の神さまが
一同揃って出雲に集まるという例えのことなのです。

毎年思うことなのですが
10月の新月には、一度は出雲に出掛けてみたいと思っています。

新月は、あちら側からの干渉が一番強まる日です。

そして神話が事実ならば、百鬼夜行のように
ご機嫌な神様たちが、揃って行進していることでしょうから
一度くらいは、参列してみたいものですね・笑。

なんせ、八百万の神さまが集まる月ですから
ひとつの宴くらいには、きっと出くわせることでしょう。

出雲に興味のある方は、是非とも10月に訪れてみて下さい。

というか?来年は、エアーワークスで企画してみようかな…?
もちろん、わたしのガイダンス付きで…笑。

皆既日食以上のインパクトになるかもしれませんし…笑。

興味の在る方は、是非ともお書き込み下さい
応募が多ければ、ホントに行こうかな~と思います。

結果は、またご報告させて頂きますね!

では、神無月こそ実力を問われる月ですので
皆さん、気を引き締めて過ごしましょう!

因と縁が織り成すもの2009/10/06

人生とは、まさに因縁の繰り返しですが
皆さまは普段、どのようにそれらのテーマと付きあっていますか?

因縁の違いを簡単に述べておきますと…

因は原因という、直接的な問題であり
縁は条件という、間接的な関わりであるという違いです。

例えば、

人は、食わずして生き延びることは出来ません。
生きることは因であり、食べ続けることは縁である…。

人を好きになることは、誰にでも生じることです。
結婚は因であり、出会いは縁である…。

人生を歩むということは
進むべき明日が因であり、過ごしてきた過去が縁である…。

すなわち、明確な点を因として
それらを結ぶ流れを縁とします。

因縁とは、人生そのものを束ねた縄のようなものなのでしょう…。

立派な締め縄をつくるには、
しっかりとした結び目と、綺麗な線を描くことが大切です。

一ヶ所が緩んでいれば、全てがほどけてしまうこともあり
ほころんだ糸を見逃していれば、強度そのものを損なうのです。

どちらも、しっかりと掛け合わせてこそ
立派な縄が出来上がります。

しかし、気をつけなければならないのが
どちらかが欠けても、強靭な縄は編めないということなのです。

因をしっかりと見定めてこそ
綺麗な縁は紡がれるものです。

あなたの人生は、どこまで編み込めましたでしょうか?
理想的な縄を編み込むのは、根気よく妥協しないことが大切です。

追伸
先日の出雲ツアーの件、
実に多くの書き込みを頂いております。
本当にありがとうございました…(汗)
前向きに、検討しようと思います。
その際には、またキチンとご案内させて頂きます。

座敷ワラシ2009/10/08

久しぶりに、桶をひっくり返したような凄まじい雨でしたね~。
皆さま、ご無事でしたでしょうか?

竜ヶ崎市の知り合いの方や
通勤に、障害が起きた皆さま
本当に大変だったことかと思います。

安らぐ暇もないかもしれませんが
せめて一息ついて下さい。

最近は、気になるニュースも在りましたが
岩手県の「緑風荘」全焼の報道のことです。

座敷ワラシが出ることで、一躍有名となりましたが、
真実がいかに…ということよりも
霊体を大切に扱ってきた場所が無くなる侘しさです。

いやぁ~、ホント、再建することをココロより願っております。

霊体は、火事などで消滅したりは致しません。
しかし、同じだけの思いで向かえなければ
また、より付く保障もありません…。

同じ扱い、同じ気持ちで是非とも迎えてあげてくださいませ…(願)。

あとは、現地を見ていないので何とも言えませんが
今回の火事の原因はボイラー室からとなっていますが

動物などの不浄物霊は、火を起こす厄をもたらすことが多いので
念のために、馬頭観音様を置くと良いでしょう。

本当に、座敷ワラシであれば
すなわち、子供の霊体(無垢)であるということです。

無垢な魂は、やたらと何でも寄せてしまうこともあるのです。

あの世もこの世も
ルールを守って付きあっていければ
互いに更なる幸福を呼びあえるものなのです。

それらのルールについては
また機会があればお伝えしたいと思います。

そろそろ本でも書くかな~
もう少し、ゆとりと時間をつくらないとな…笑。

では皆さま、今日はこの辺で…。

気づいてみよう!2009/10/10

不器用だけど、人が好きなこと
デキが悪くても、仕事が好きなこと
懲りないけど、そんな自分が大好きなこと

モノを得ることは、決して上手だといえなくても
そういうタイプの人は、どこか気持ちが満たされている…(笑)

パワーゲームが好きなこと
マネーゲームが好きなこと
恋愛ゲームが好きなこと

世渡り上手と称賛されても
そういうタイプの人は、つねに何かが不足している。

長い目で捉えれば、どちらも同じだけのこと。
それほどに、一長一短というものは決して侮れるものではない。

では、どこで一体差がついているのやら・・・思いませんか?

要は、素直に受け入れる『気づき』の差!

世の中には、決して格差だけでは計れないコトがあります。
相手が誰だとしても、気づきは必ず存在するのです。

用のない合コン…。
見飽きた日々…。
期待できない未来…。

そんな考えに陥っているとしたら
努力もしないで、ただ見据えているだけのことです。

改善策を、本気で考え試してみましたか…。

諦めている意識自体が、不足の事態を招いているのです。

用のない合コンも、本番では試せないレッスンの場といえます。
見飽きた日々も、それがあってこそ今が在る。
期待できない未来なら、期待できる明日に移れば良い。

長い間、不満を抱えても動けないのは
気持ちのどこかでは、自分なりの満足があるからです。

今の不満が本物なら、そういう事実も受け入れること。

我慢してまで積み上げた過去は、簡単に否定するほど無価値ですか?
決して、そんなことは無いはずです…。

負荷のないポジティブを身につけるには
本気で挑むだけの自覚を持たなければなりません。

結果を確かめない、前進などは無いからです…。

いまの不満は本物ですか?

本気で動けば、必ず未来は変わるもの
そろそろ自分の本心に、本気で気づいてみませんか。

合言葉は『そう♪』2009/10/12

皆さまは普段、『そう!」という言葉をどれだけ活用出来ていますか?
実はこの音には、大きな意味が秘められているんです。

そう!という言葉
よくよく考えてみると、無意識に多用していませんか…。

用を思い出す…そう!言えば
相手をほめる…そうそう!その調子
調子に乗ってくる…そうそうそう!盛り上がろう…みたいな

どうでしょうか…笑。

自然と馴染んだ場所ほど、よく発している音なんです。

人は自然体で在るほどに、本来の実力を発揮します。
『そう↑』いえる場所こそが、本当に必要とすべき場所なんです。

真実を裏返せば、嘘になります。

そろそろ、気付きましたか・・・。
そう↑の裏返しは、うそになるんですよ…笑。

音に秘められた真実を使って
自分が「そう↑したい」と思える場所を探してみましょう!

明日からの合言葉は「そう↑」いえる自分を見つけて下さい。

限りあるルールと限りないモラル2009/10/14

人生には、色々と制限がつきものです。

車に乗れば、制限時速
大人になれば、納税義務
問題を起こせば、裁かれることなど。

集団生活に、ルールは必ず必要です。
もちろん、当たり前過ぎるくらい当然のこと。

しかし、個人の人生観となれば話しは別…。

あくまで、個人という前提が必要ですので
誰にも迷惑をかけないことが唯一のルールとなります。

個人の場合は、ルール以上にモラルが問題となります。

モラルには、制限という条件はなく
どこまでも高められるかわりに、自らでしか制御出来ません。

アクセルもブレーキも、全ては自分次第ということです。

本当に、何かが不足しているのならば
それらを見つけるためにアクセルを踏むことが自然です。

疲れきっているようであれば、決して惰性に任せず
自らがブレーキを踏んで、駐車して休むことが自然です。

どちらも、当たり前なことなのです。

しかし、当たり前を制御出来ないのは
モラルに対して、ルールを適応しようとするからなのです。

先に述べたように、モラルにルールは不要です。
必要なのは、偽りのない本心であるかないかの認識だけです。

モラルとは、ただの好き勝手とはワケが違います。
本質の品格が問われることなのです。

限りある日常は、ルールをこなしていくだけの問題ですが
限りない人生は、本質を制限なく高めていくことが主題なのです。

どちらも守れてこそ、現世はカタチづけられるというもの…。
どちらも必要な、紛れもない事実なのです。

いまのあなたは、これらを分けて考えてますか?
慣れるまでは、それぞれに分けた考えた方が賢明でしょう。

自分の人生に対して、あなたはどこまで高く望めますか…笑。

ココロから、期待して見ています。