変りない風景が映し出す文化2010/07/06

数年ぶりに、那須へ行ってきました。

今回は、是非とも那須へ訪れてみたいという
お世話になっている、京都の客人からの希望でした。

そんな、きっかけを頂き
半分仕事、半分あそびのつもりで那須を訪れました。

渋滞もなく、恵比寿から2時間強でつき
まずは、リゾートカフェの代名詞でもある
ショウゾウカフェを覗いてきました。

20年経ったいまも、当時と変りなく…。

変りない変化をもたらしていることが
逆にすごいことだよな~と痛感してきました。

見栄えばかりを気にすることなく
働いているひとりひとりが、当時からの味やルールを守り続けている。

そんな、変らない文化を継承し続けていることが
どれだけ素晴らしいことなのか…。

不変的な文化・・・
継続こそが文化であると、改めて感じたひと時でした。

そんな生き方を、常々意識はしているのですが

損をしている…。
やってあげている…。
見返りを期待しすぎる…など、

どこか少しでも、自己犠牲的な意識があると
決して到達できないんだろうな~と思います。

自らの、ひとつひとつへのモノゴトの納得を求めて
そのこだわりを、絶やすことなく挑み続ける…。

それこそが、不変的な文化を築く条件なのでしょう。

ショウゾウは、つねに変りない空気感を提供してくれます。

それは、自らが伝えたい…という気持ちを継承し続けている、
スタッフひとりひとりの思いが創りだしているのでしょう…。

自己犠牲の上に、本当の生き様は成り立たず…。
それは、私自身の基本的概念でもあります。

いくつになっても、ベストを求める自分で在り続けたいと思います。

皆さまも、陽気に負けないくらいの熱い魂を見つけて下さい・笑。

自己信頼2010/07/12

より良い人生を望む時…。
皆さまは、どのようなコトを意識していますか?

それは、努力ですか…
ならば、なにを努力すべきなのでしょうか?

それは、運ですか…
そもそもそれは、どのような類の運なのでしょうか?

それは、環境ですか…
それならば、どのような環境が伴えば満足でしょうか?

実は、それらしい言い訳だけを並べていませんか、
最初から諦めているのが、実のところではないでしょうか…。

望んでいるけど、諦めているようじゃ…完結しています・笑。

より良い人生を望むには
良いと思える人たちで集い学ぶことが単純明快でしょう。

不幸自慢の友達に囲まれながら望んでいても
状況としては負荷がかかるばかりです。

良い恋愛を望むなら、雰囲気の良いカップルを見つめるべきです。

より良い結婚を望むなら、お互いを必要とする夫婦を見るべきです。

望むべきことがあるならば、望むコトをただ追い続けるだけのことです。

不幸なフリなどに目をくれずに、ただただ追い求めてみて下さい。
いつの時も、自分自身を叶えるのは自らの思いだけなのです。

自分の未来を信じて、走りきりましょう!

スピリチュアルツアー2010/07/23

今週は、企画中のスピリチュアルツアーの下見で
長野県まで出向いておりました。

片道280キロ…実に往復、560キロの車の旅
いや~、そこそこ遠い、大阪までいけるがな~くらいの旅でした。

しかし、平日の真ん中でいったにも関わらず
後から後から人が集うこと…。
あっという間に、かなりの人が来ておりました。

ビックリです…笑。

そして、標高の高いこと。

行きは徐々に登っていったのでしょう…。
さらに奥に向かう、諏訪湖のほとりまでひと山越える時には
かなり見応えのある景観でした。

寺社仏閣巡りも企画はしているのですが
まずは、ありきたりな場所ではなく
体感できるほどの、自然の恵みを探していました。

機会があえば、そのような場所等々を
ご縁のある皆さまとご一緒できればと思っています。

日曜や休日は、平日の比ではないほど
現地は込み合う場所とのことなので

今回の開催日は、平日になりそうです。
その辺りの都合だけは、どうかご勘弁ください。

詳しくは、またサイトにてご案内させて頂きます。
この機会に、有意義な時間を共有しましょう!

真実は小説よりも奇なり2010/07/30

真実は小説よりも奇なり…。
この言葉は、アメリカの小説家マーク・トウェインの言葉ですが、
真実には、小説よりもたくさんの想定外が起こりえる…。
そのような、意味合いの言葉です。

正しいことも、見かたによっては不実となり
不実な行為も、時としては正しき導きだったりもする…。
だからこそ、正論というものは
一概にひとつだけと言えるものではないのです。

そうなると、真実は何処にある…という捉えかたもあるが

モラルの基準で計れる範囲であれば、
それらは単純に、世間や他人に迷惑をかけない…で済みますが
自分ごとや身近な相手となると、
それらの計りだけでは割り切れなくなるものです。

真実は何処に…。

いろいろな善悪が在る限り、それらは永遠の課題です。
だからこそ、自らの行動によってしか
真実というものは、見出せないものなのです。

人生の道のりがハッキリと見えていれば、
そうそう道を違えることもないのですが、
全く異なる道に踏み込んだ時に
人は、ヒステリーやパニックを起こすものです。

そのような状況に立った時には、
自分が置かれている、現在に安心材料をまずは探すこと…。

家族がひとりでもいれば、それは安心材料です。
友達がひとりでもいれば、それも安心材料です。

安心とは、対話のなかで見出すものなので
話し役と聞き役の、二人揃って成り立つものですから…。

人が一番耐えられないのは、孤独というものです。

しかし、自らが塞ぎこんでいない限り
この豊かな現代では、そうそう孤独もないものです。

ただでさえ見えない道のりであれば
五感を研ぎ澄まし、風向きを確かめることなどが可能ですが、
パニック状態では、それらの情報にもまずは気づけません…。

本当の苦しみや悲しみは、
常識を軽く超えてしまうほど、深いものなんです。
だからこそ、落ちる必要もなく
ただただ、一日でも早く立ち直ることだけです。

あなたは、本当に孤独なんですか…。
ならば、いまのあなたの周囲には誰一人いないはず。

あなたは、本当に貧しい人生ですか…。
守るべき人がいれば、それは豊かな貧しさです。

あなたは、本当に侘しい人生ですか…。
他人事に気を取られ、これまでの豊かさを忘れていませんか?

いまあなたが立っている場所は、
あなた自身が定めて立っている場所であることに間違えないでしょう。

だとすれば、忘れてはならないのが
そこまで頑張ってきた自分自身の道のりです。

真実は小説よりも奇なり…
人生に、絶対に正しい想定などはありません。

自分を磨き、自分を信じ、偽りのない環境を定め
ただ真っすぐな実りを求めることが、後悔のない人生でしょう…。

自分にとって、一番好ましい自分で生きることが
唯一正しい、真実の姿と呼べるでしょう。